by:ばらもす
→【第1回 オゼロンの魔術師】本編オンセログ
10年ぶりのGM(オンセ初GM)ということで、無難に進めることを考えたシナリオ。おかげで進行が早い、早い。
中身は、いろんな意味で、「昔の自分がつくりそうな」シナリオ。
シナリオ全編にわたって、クトゥルフ出身者の感性丸出し。演出方法といい、シナリオ構造といい、もう笑っちゃうくらい。
「ヒロイックファンタジーやってもこんななのかよ、俺」と、ツッコミを入れたくなる。
実際、このシナリオに関しては、10年前にやってた進行手法と何も変わらなかったり。
進行の段取りはすべてGMが準備、PLへのメタ情報提示はゼロに等しい。今回予告が「今回」予告になってないというか、「第1話の展開のメタ情報」の提示は、せいぜい「せこい依頼に見えるけど、実は大きなお話の発端だよ(だから依頼は受けてちょうだい)」程度。
この方法論でもサクサク進めることはできるし(GMのワンマン進行だから、ただ進めるだけならずっと楽)、PLのリアルサプライズという別種の楽しさもある。
実際、この回のようなホラー的な展開は、メタ進行スタイルでは難しい。「PCと一緒に、PLもびっくりしてた」けど、これは、「PCの情報とPLの情報が同一」だからできることだ。
ただ、「PLサイドから大胆に物語を動かす」ことは難しい。PLにシナリオ概要のメタ情報を与えていないから、PLからのアクションが「目の前の問題への対処」だけになるというか(それはそれでひとつのゲームだけど)、話の流れに関しては「GMが次の展開を運んでくるのを、待つ」だけになっちゃうんだよね。
ただしこの今回予告、キャンペーンの先を見越した展開情報は、いろいろ仕込んでて。「今回」じゃなく「キャンペーン全体」の予告としては、てきとーに機能してた。
『オゼロンの魔術師』というタイトルどおり、このキャンペーンは、『オズの魔法使い』のオマージュ。
『オズの魔法使い』は、願いを叶えてもらうためにオズの魔法使いに会いに行ったところ、実は彼はサギ師で、叶えてもらおうとしていた願いは旅の途中で自分で叶えてしまっていた、実は最初から持っていたのに気づかないでいただけだった、というお話。
臆病なライオンは、旅の中で何度も勇敢さを示し、そのことに自分で気づく。自分で自分を臆病だと思い込んでいただけで、本当は最初から勇敢だった。『オズの魔法使い』は、そういうテーマを体現した寓話であり、だからドロシーは、最後に「自分の家がいちばん!」と言って、自分の家に帰っていく。
第1回の予告は、このキャンペーンが『オズの魔法使い』と同質の寓話になるよう、「ネタの仕込み」を意識したもの。
PCに、「勇気」や「心」に該当する「願い」を持たせる。そして、第1回予告の”まだ何も手に入れていない”は、キャンペーンの中で変わっていき、最終回予告で”ただひとつを手に入れた”とやる、そういう青写真だった。
ここで難しかったのは、最終回でいきなり”ただひとつを手に入れる”のではなく、最終回では「旅の途中で既に見つけていた」と気づくだけ、という部分。オズの魔法使い(=オゼロンの魔術師)との対面シーンは仕上げに過ぎず、そこまでの経過でPLが「願い」というテーマを消化していないと、ラストで焦っても手遅れ、寓話としては成立しない。
ここの部分は、主役格であるナイアが、キャンペーンを通して「仲間を得て、暗殺者であった自分が変わっていく」というギミックを強調したプレイをしてくれたことで、上手く進んでいった。本当にこのキャンペーン、PLに恵まれていたと思う。
余談だけど、予告や転送装置で、「竜巻、竜巻」とやたら繰り返してるのが、今見ると笑える。もちろんこれは、『オズの魔法使い』の冒頭のシーンを意識した遊び(ドロシーは竜巻によってオズの魔法の国に運ばれていく)。
チャット時は「#Ozeron_GM」と名乗ってたんだけど、開き直って「#OZeron_GM」とやるくらい露骨な方が良かったのかな、とも少し思った。
まあでも、PC1であるナイアがテーマを消化してくれてる以上、このまま進行しても問題ない、という判断だったんだけど。
テーマへの自覚的なアクションをいきなり求めるのは大変すぎというか、それはメタ進行の練習積んだ後でいいや、と考えてた。
初回は無難に、「PLはメタ進行に無自覚的でOK、GMが誘導していく」手法に徹した方がいいと思って。まずは基本をやってみて、応用的なことは、順番に幅を広げていくのがいい、と。
『紫色の星々』も、初回は、無難で手堅い、メタ進行に頼らないタイプのセッションだったしね。
あとは、ガーゴイルの部屋が、密かにお気に入り。
古き良き『D&D』テイストというか、あからさまに怪しい像がでーんと鎮座している感覚が、なんともたまらない。